西播磨の山城

西播磨の山城

龍野古城

概要

主な城主:赤松村秀、赤松政秀
標高:211m
形態:連郭式山城(中世)

15世紀の終わりごろに播磨を支配していた赤松一族の赤松村秀により、鶏籠山の山上部に築城されたとされる連郭式山城(中世)。鶏籠山の山上部に本丸、南の尾根先に二ノ丸を配した連郭式。本丸の周りには石垣が残り、北東には城山八幡宮があった。南に曲輪が連なって二ノ丸・三ノ丸へ至り、南端の帯曲輪には土塁が巡っている。これらの遺構は、赤松氏の頃のものか、織豊期のものか諸説ある。

山城ピクトグラムについて

見どころ
ポイント
(山城ピクトグラム)
コース
タイム
標高 211m
体力度 ★★★☆☆
技術度 ★★★☆☆
対象 初級者
駐車場 龍野公園駐車場
トイレ 龍野公園内のトイレ
備考 一部急なところがございます。

【歴史】

諸説ありますが、龍野古城の初代城主赤松村秀は、嘉吉の乱で衰退した赤松氏を復興させた置塩城主赤松政則の子で、たつの市御津町の塩屋城主宇野氏の養子となり、その後に「龍野」城主となったと伝えられています。
2代目の政秀から、広貞、広英と続き、「西播八郡」の「守護代」として一時代を築きました。
赤松政秀の時には、たつの市御津町室津の「八朔のひなまつり」に繋がる物語が残されています。
また、村秀の孫にあたる広英は、秀吉の播磨攻めの時にその軍門に降り、秀吉軍の一員としての軍功が認められ朝来市の竹田城主となりました。その後、蜂須賀正勝、福島正則ら、秀吉一門の武将が城主となります。
そして関ヶ原の戦いののち、寛文12(1672)年に脇坂安政が城主となり龍野に入部し、明治に至ります。

動画

実際に山城に登っている様子を動画でご覧いただけます。

復原図

「中世播磨250の山城」(中世城郭研究家 木内内則)

縄張り図(参考図)

「中世播磨250の山城」(中世城郭研究家 木内内則)

コースMAP

※山城中での現在地の確認はARアプリ「西播磨の山城へGO」をご利用ください。
※足に自信のない人は本丸から引き返すコースがお勧めです。
 足に自信のある方は急な坂道が続きますが、本丸から南方向にある龍野城に下りるコースがお勧めです。

鶏籠山MAP

見どころポイント

  • 侍屋敷といわれる畑跡

    段々畑のように積まれた石垣は侍屋敷跡といわれ、太平洋戦争時は畑として利用されました。

  • 立派な石の蹲い(つくばい)

    かつての侍屋敷の庭にあったと思われる「蹲い」が残っており、今も渓水が引かれ手洗いなどに利用されています。
    ※「蹲い」とは、手を洗ったり口をすすいで清める手水をためておく鉢の事。多くは石造りで、自然石をそのまま用いたものもあります。

  • 鳥ケ撓(とりがたわ)番所跡

    龍野藩主脇坂氏の上屋敷「聚遠亭」が坂下にあったため、鳥ケ橈(地名)は重要な見張りの要所でした。現在も泉水跡と井戸が残っています。

  • 大きな両見坂石灯籠

    以前は左右に二つあったとされる石灯籠。この峠を境に的場山方面、北龍野方面、山頂の本丸方面の三方向に分かれます。

  • 竪堀(たてぼり)の跡

    山城には敵の攻撃に備え要所には堀切や空堀があり、龍野古城では敵が横移動しにくい「竪堀跡」が今も残っています。

  • 八幡宮跡へと続く石だたみ

    赤松氏が築城時に守護神を祀った社跡。八幡宮本体は今は「城山八幡宮」として麓の龍野神社の境内に遷されています。

  • 本丸跡の石垣

    野面石(自然のままに近い石)を積み上げた石垣が一部残っており、中世山城の趣を楽しめるポイントです。

  • 大手道

    龍野城の裏手からは大手道と伝えられています。

登山口までのアクセス

※Googleマップでは駐車場をご案内しております。

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