西播磨の山城

西播磨の山城

楯岩城

概要

主な城主:赤松則弘、赤松貞村
標高:約250m
形態:中世の山城

 楯岩城は、太子町の市街地に近い標高250メートルの城山に築かれた山城です。室町時代から戦国時代の頃の山城で、眼下に山陽道を望む重要な地点にあります。巨石が盾のように並んでいることからその名が付いたといわれています。
 現在テレビ塔の立つ場所が本丸跡、北西に延びる尾根上に二の丸、三の丸がある大規模な山城であったともいわれています。

山城ピクトグラムについて

見どころ
ポイント
(山城ピクトグラム)
コース
タイム
標高 約250m
体力度 ★★☆☆☆
技術度 ★★★☆☆
対象 初・中級者
駐車場 あり。バス駐車不可
トイレ あり(登山口の若王子神社)
備考 車両侵入後、必ず獣害防止柵を閉めてください。

【歴史】

 江戸時代の地誌「播磨鑑」によると、城主は赤松刑部少輔(ぎょうぶしょうゆう)で、嫡子次郎泰秀が相続し、嘉吉(かきつ)の頃に伊豆守(いずのかみ)貞村が移り住み、嘉吉元年(1441年)の城山合戦で武功を立てました。その嫡子彦五郎教貞、次に兵部少輔範行(ひょうぶしょうゆうのりゆき)、次に左馬介元軌(さまのすけもとあつ)、そして次郎太郎左馬介元助まで五代続き、天正年中まで栄え、幕下の諸家中が近隣に住んでいました。
 永正18年(1521年)の播磨国守護・赤松義村と守護代・浦上村宗の争いでは、緊迫した様子が「鵤庄引付(いかるがのしょうひきつけ)」に記されています。
 羽柴秀吉が播磨国を治めるようになって廃城になりました。

動画

実際に山城に登っている様子を動画でご覧いただけます。

復原図

(中世城郭研究家 木内内則)

縄張り図(参考図)

「中世播磨250の山城」(中世城郭研究家 木内内則)

山城ガイドのご案内

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見どころポイント

  • 個性豊かな彫刻が彩る
    登山口案内看板

    龍田小学校と太田小学校の児童たちが
    卒業記念に作った登山口案内看板。

  • 訪れる者を圧倒する
    巨石の数々

    古墳として、また磐座(いわくら)として岩そのものが
    信仰の対象となっているものも残存しています。

  • 巨石の郭(くるわ)壁

    巨石で作られた郭壁。
    かつての栄華を今に伝える遺構のひとつです。

  • 城山一等三角点

    主郭跡テレビ塔から東へ管理道路を進むと
    城山一等三角点への分岐ルートがあります。

登山口までのアクセス

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