西播磨の山城

西播磨の山城

利神城

概要

主な城主:別所敦範、宇喜多直家、池田由之
標高:373m
形態:連郭式山城(中世~近世)

因幡街道の宿場町として栄えた佐用町平福の東に位置し、海抜373メートル、麓からでも250メートルほどある利神山(りかんざん)の頂上にある山城です。現存する主要部分が江戸期に入ってから築城された「近世山城」で、西播磨では珍しい存在です。
佐用町平福は、古くから「朝霧の名所」として知られ、かつてあった三層の天守閣の姿が霧の上に浮かんだ様から「雲突城(くもつきじょう)」とも呼ばれました。
最高所に天守丸及び本丸があり、南側に二の丸、更に南へ下った所に馬場、南西に三の丸、北東に鴉丸(からすまる)、北西に大坂丸などがありました。また、山麓に城主の屋敷をはじめ武家町などを置き、街道沿いに町人の居住地を設けて、城下町全体を整備しました。

山城ピクトグラムについて

見どころ
ポイント
(山城ピクトグラム)
コース
タイム
標高 約373m
体力度 -
技術度 -
対象 -
駐車場 「道の駅宿場町ひらふく」を利用
バス駐車可
トイレ 「道の駅宿場町ひらふく」を利用
備考 公式ガイドを伴った登山となります。

【歴史】

1349年、赤松系の別所敦範(べっしょあつのり)が築城。嘉吉(かきつ)の乱で落ち、1467年、別所治定(べっしょはるさだ)が再興。1578年、尼子勝久(あまこかつひさ)と家臣の山中鹿之助(やまなかしかのすけ)により落城。同じ年、今度は上月城が毛利軍に攻められて落ちると、利神城は、その頃、毛利方に属していた宇喜多直家(うきたなおいえ)のものとなり、服部勘助(はっとりかんすけ)という家臣が居城したと言われています。
やがて、東西の勢力が播磨の地でせめぎ合う中、宇喜多氏は羽柴秀吉側に付き、宇喜多直家-秀家(ひでいえ)へと2代、約20年にわたり領有します。
しかし、1600年の関ケ原合戦で宇喜多氏は西軍に属し、東軍を率いる徳川家康に敗れました。
関ケ原合戦の後、播磨に入った姫路城主の池田輝政(いけだてるまさ)が1601年、甥の池田由之(いけだよしゆき)に平福領2万2千石を分与。由之は5年の歳月をかけて、中世利神城を大改修(ほとんど新築)した。三層の天守を構えたと伝わり、周辺の曲輪(くるわ)を全て石垣で築くなど「戦いの城」としての備えも万全でした。ところがこれを知った池田輝政は、幕府から警戒される事態を恐れ、完成したばかりの天守閣の破却を命じたという伝承が残っています。
由之は1609年に、現在の岡山県倉敷市の下津井城へ転出しましたが、この頃から一国一城令が出された1615年の間に天守などの主要な建造物は取り壊されたようです。

動画

実際に山城に登っている様子を動画でご覧いただけます。

復原図

「中世播磨250の山城」(中世城郭研究家 木内内則)

縄張り図(参考図)

「中世播磨250の山城」(中世城郭研究家 木内内則)

コースMAP

ボランティアガイド

※ガイドを伴った登山になりますので、詳細は下記までお問い合わせください

佐用山城ガイド協会

https://sayoyamajiro.wordpress.com/

見どころポイント

  • 登山道にある祠(ほこら)

    利神山南西部登山道途中にある祠(ほこら)です。

  • 上空から見た平福の街並み

    佐用川の石垣沿いには昔ながらの佇まいで、
    白壁の川屋敷や土蔵群が連なっています。

  • 利神山の紅葉

    燃えるような朱やオレンジに染まった
    紅葉に包まれる利神城は、
    麓から眺めるだけでも楽しめるフォトスポットです。

  • 二の丸東区

    三の丸から二の丸東区にかけての石垣です。

登山口までのアクセス

※Googleマップでは駐車場をご案内しております。

TOPへ

西播磨山城ファンクラブ募集中