西播磨の山城

西播磨の山城

上月城

概要

主な城主:上月景盛、赤松政元、尼子勝久
標高:190m
形態:連郭式山城(中世)

東西約200mの山頂に自然地形を活かした曲輪(くるわ)、堀切などを配する。天正期、織田・毛利の前戦となった上月合戦の主戦場となり、主郭に赤松氏の供養塔、麓に尼子氏の供養塔がのこされている。登山道は整備されており、30分程で山城跡に着ける。

山城ピクトグラムについて

見どころ
ポイント
(山城ピクトグラム)
コース
タイム
標高 約190m
体力度 ★☆☆☆☆
技術度 ★☆☆☆☆
対象 初心者
駐車場 有(上月歴史資料館)
バスの駐車可(中型可)
トイレ 山麓の「上月歴史資料館」を利用(要相談)
開館日:土・日・祝 10:00〜16:00
備考 山頂からさらに先に進むと上月の町を見渡せるビュースポットがあります。

【歴史】

鎌倉末期1336年に赤松氏の一族、上月景盛(こうづきかげもり)が築城『佐用郡誌』。
上月氏は、景盛の後、2代盛忠(もりただ)、3代盛家(もりいえ)と続き、4代景家(かげいえ)の時、「嘉吉(かきつ)の乱(1441年)」が発生し、上月氏の嫡流が滅びました。
その後、1483年からは山名氏に攻められ、山名氏が衰えると出雲から尼子氏に攻略され1538年に落城。その後、1557年に後に「西播磨殿」と讃えられる赤松一門の政元が置塩城から入城し、大内氏・浦上氏・陶(すえ)氏との激しい攻防戦を繰り返すも死守したと伝えられています。
また戦国時代、上月城は、播磨・備前・美作3国の境界に位置する防衛拠点としての地理的要素から、西の毛利氏と東から攻めてくる信長方、秀吉軍の分捕り合戦の的となりました。
1578年、三木城主、別所長治が毛利側に寝返ると、東播磨の諸豪族の大半がこれに同調し、この時点で対毛利戦線における最重要拠点は上月城から三木城へと移り、秀吉は信長の命により三木城に転戦したため、6万余りの大軍の毛利軍に攻められた上月城は落城しました。
この上月合戦は後年「播州佐用軍記」という軍記物が編まれ、また昭和戦前の教科書に山中鹿之介の忠節をとりあげた「三日月の影」で知られている。

動画

実際に山城に登っている様子を動画でご覧いただけます。

縄張り図(参考図)

「中世播磨250の山城」(中世城郭研究家 木内内則)

見どころポイント

  • 麓の追悼碑

    登山道脇には尼子勝久や山中鹿之助などの追悼碑が建てられています。

  • 休郭
    (きゅうかく・やすみぐるわ)

    江戸時代に描かれた古絵図には「休郭」と記されています。

  • ビュースポット

    利神城跡と上月の町を見渡せるポイントです。

  • 堀切(ほりきり)

    尾根伝いに攻めてくる敵の進入を防ぐために作られた施設です。

登山口までのアクセス

※Googleマップでは駐車場をご案内しております。

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