感状山城(かんじょうさんじょう)は、相生市矢野町瓜生(やのちょううりゅう)と矢野町森にまたがる標高301メートルの感状山(かんじょうさん)の尾根上に築かれた山城です。
昭和60年度から3カ年をかけて行われた発掘調査の結果、建造物の遺構が多く発見され、曲輪(くるわ)群の全貌が明らかにされました。
現在見られる総石垣構造の遺構は戦国期のものとされますが、当時の史料になく、謎の多い山城です。眺望に優れ、壮大な石垣と曲輪群、礎石建物跡・井戸跡などが残り、盛時を偲ぶことができる播磨地方の代表的な中世の山城の遺構です。
見どころ ポイント (山城ピクトグラム) |
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コース タイム |
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標高 | 301m |
体力度 | ★★★☆☆ |
技術度 | ★★☆☆☆ |
対象 | 初・中級者 |
駐車場 | あり。バスの駐車可(中型可) |
トイレ | 里の店のトイレを利用 |
備考 | 登山道が整備されていて登りやすいです。 |
建武3年(1336年)足利尊氏(直義)軍と後醍醐天皇方の新田義貞軍が豊島河原で合戦に及び、敗れた尊氏らは九州へ落ちて再起を図ります。西へ落ちる尊氏を助けて、義貞軍を播磨で50日余りにわたって足止めしたのが赤松円心(則村)・則祐(赤松則村の三男)です。これにより尊氏は反撃の機会を得ることができました。
感状山の呼称は、この功績により、足利尊氏から感状をたまわったことに由来するといわれます(「播磨鑑」「播磨古城記」)。
実際に山城に登っている様子を動画でご覧いただけます。
「中世播磨250の山城」(中世城郭研究家 木内内則)
「中世播磨250の山城」(中世城郭研究家 木内内則)
感状山の最南端に位置する物見岩。
構成する巨石や巨岩の数々は圧巻の撮影スポットです。
南側大手門の近くには、箱型の石組の井戸跡があります。
底には粘土を敷いた跡もあります。
城の南側の曲輪からは広く相生の街並みと共に遠くは
赤穂市を望めます。正面に尼子山をはじめ、晴れた日には
瀬戸内海も一望できる眺望スポットとして人気です。
自然の山の尾根を利用して、6つの削平地を階段状に
造った曲輪群。大手門からの敵の侵入を防ぐ要所と
なっていたと考えられます。
北Ⅱ曲輪と南Ⅱ曲輪からなる石垣の西側には、
3m〜4m幅の帯状の曲輪が配置されていました。
本丸に相当するⅠ曲輪からは、
建物の礎石や排水口などが発見されています。